日本はどんな国を目指すのか?

私は大学3年生の1965年に大学のクラブ活動(アイセックジャパン)の海外普及のために3ヶ月間海外に出かけてから足掛け40年に亘り、数カ国に駐在そして在住しました。その間世界数十か国を訪れ、様々な国の人と会い、また仕事をして来ました。現在もアジアの国と仕事をしています。そのような生活を通して気づいた事を少し述べたいと思います。人間はどのような土地に生まれ、どのような両親から生まれ、育てられたかがその人の人生を決定する。そしてその国は彼らの思想と行動で決まるということであります。人も国も風土と環境により自ずと決まる。私たち日本人はこの日本という風土で原始以来永々と暮して来た結果として今の日本人がある。昔から今に至るまで自然災害(台風、火山爆発、地震、洪水など)が多い国であるがためにその災害との闘いに明け暮れている国、それが日本です。それらの災害は日本人にとり大きな苦難です。苦難なマイナスであるけれども、その苦難を乗りこえる為に日本人は多くの英知をも獲得して来たのだ。例えば、お互いに協力をする知恵、道具などを改良する知恵、自然との共生する知恵などである。この小さな島国が世界でも有数の経済大国として存在しているのはそれらの知恵が、チームワーク、物作りのクラフトマンシップ、自然から学ぶ謙虚さなどに結集して国を作り、発展させて来たのだ。日本はそれらの知恵で世界に類をみない物質的に豊かな国になった。世界のどの国よりも清潔で、社会インフラが充実しており、快適な社会環境を構築して来た。素晴らしい成果であり、高く賞賛されるが、一方日本人の精神性はどうであろうか。物質的な豊さはかなり達成されたのであるが、人間としての心の豊かさ、幸せ度などは経済的に貧しい国よりももっと低いのではないかと私は思っています。現代日本人は哲学、信仰、思想、倫理、道徳など人間が人間として生き方、あり方を考える時間空間が極めて少ない。余りにも経済的、物質的な思考、行動に追いかけられている日常生活にその掛け替えのない人生の大半を費やしているように思われる。家庭生活でも、学校生活においても、職場でも精神性の荒廃が進んでいるように感じるのだ。現代日本人は根源的に人間として最も大切な何か(私はそれをXと表現する)を見失ってしまっているように私は思えてならない。何故日本人はそのXを見失ってしまったのだろうか?その命題を私は問い続けている。その答えは恐らく、超自然への畏敬、宇宙の摂理、そこから来る深い洞察力と人間への慈愛などに私たちは立ち返ることが不可欠なんだろうと思うのである。そうでなければ、この与えられた大切な生命を余りにも粗末にすることになると思うのである。日本人は世界でも非常に優れた民族である。それは過酷な自然との闘いから獲得した叡智のお陰でもある。その優秀な民族はこの人類を破滅に追い込まず、平和で心豊かな国際社会を建設する高潔な使命があると思っているのです。憎しみの連鎖からお互いを解放するには相手を赦し、受け入れ、敬い、そして必要ならば手を差し伸べる。そんな関係を世界に広める使命が日本人にはあると思っているのです。それが出来る民族です。その為には政治経済のリーダーたちは宇宙観、世界観、人間観という根源的に重要であることに気づいてもらいたいと思います。